2001-04-02 第151回国会 参議院 決算委員会 第2号
かされていまして、実は私、若いころ、政治の理想に走り過ぎていたころ、衆議院議長や副総理をやられた林譲治先生から、政治というのはこんなに現実的なものだ、余り理想に走るなといってお説教されたときに、昭和二十年の米よこせデモが官邸を取り巻いて皇居前いっぱい大騒ぎになったときに、これは帝国議会のころでございますけれども、第一次吉田内閣ですが、そのときにどうしようもなくなって、当時の労働運動の指導者であった松岡駒吉
かされていまして、実は私、若いころ、政治の理想に走り過ぎていたころ、衆議院議長や副総理をやられた林譲治先生から、政治というのはこんなに現実的なものだ、余り理想に走るなといってお説教されたときに、昭和二十年の米よこせデモが官邸を取り巻いて皇居前いっぱい大騒ぎになったときに、これは帝国議会のころでございますけれども、第一次吉田内閣ですが、そのときにどうしようもなくなって、当時の労働運動の指導者であった松岡駒吉
あるいは松岡駒吉さんという当時の衆議院議長は、改正は考えていない、自分はいろいろな大政党の幹事長にも相談したけれどもみんなそういう意見だということを言っております。さらに、新聞の社説等も、改正の必要性についてはほとんど述べておりません。
そこで、雇用問題ですが、労働基準法の改正が近く審議されるということで、私たちも意見を出しながら、あるいは労働四団体も出しておるわけですが、いよいよ労働基準法、戦後四十年、松岡駒吉でしたかね、労働大臣。この労働基準法というのは聖域というか、手をつけられなかった。代代の内閣は手をつけられない。野党は野党なりに、何となくこれに手をつけると不気味だった。憲法と言われるくらいのものです。
同時に委員会等の、審議を見てまいりますと、中村高一さんや松岡駒吉さん、いろいろ私どもの政治の先輩の方々が当時いろいろな議論をしておられるのを興味深く拝見をしたわけであります。 私は三十三年の五月から初当選で二十三年、今日国会におりますから、それ以前の段階でこの問題が、相当時代的な背景もありましたから賛否に分かれて激しく議論をされた。
犬養健、植原悦二郎、松岡駒吉、星島二郎、北村徳太郎、黒田寿男、末端に至って小林進というふうになってくるのでありますけれども、こういうようなそうそうたる名士が入って、そしてこれをひとつ撤廃しようという運動が始まっておる。 もう時間がありませんからなんでありまするけれども、それに対して、実に歴代の大蔵大臣が全部撤廃の方向で回答しているんだ。
その国会決議の案文をつくるときに参加をした人たちは、ごく一部を申し上げても松岡駒吉、北村徳太郎、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、小坂善太郎、戸叶里子といったような、故人になった方もありますけれども、私どもの大変懐しい、しかもわれわれが尊敬する当時の衆議院、むろん参議院からも出ておりますが、両方から約六十名ばかり集まって、案文を練ったようであります。
衆議院の中では松岡駒吉、北村徳太郎、山崎猛、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、森戸辰男、小坂善太郎などといった、全く日本の政治をリードしてきた方々が参加をして、そこで行われた宣言を見ますとまことに崇高な理想を掲げ、あるいはきわめて次元の高い立場からこの世界連邦運動のためにわれわれは全力を挙げるんだ、それがわれわれ国会委員会の道義的な義務であるというような決議をいたしておるわけでございます。
当時の出席者の顔ぶれを見ると、松岡駒吉、北村徳太郎、山崎猛、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、森戸辰男、小坂善太郎などという、全くの日本の政治をリードした大先輩が列席をしているわけであります。
総定員法が当時も問題になったのだけれども、これは国家行政組織法が初めて船田さんが提案してできた、松岡駒吉衆議院議長の時代にね。国が出した法案をばらばらにして、衆参両院で大修正を加えて、全然別なものにしてしまった。このときに松岡議長自身が、こんなことをしたら官僚の阿房宮ができる、何事だと言った。当時の経過から振り返ってみると、総定員法を考えたその発想の根本に昔の議論と逆な発想がある。
あの国家行政組織法が政府から提案されたときに、衆議院の議長松岡駒吉さんはじめみんなでぶった切ってしまった。だから、全くふできな法律ですよ。そこをきちっとお突きになった。たいへん私は卓見に感服したことがございまして、いままたたてまえと本質は違うのだ、こうはっきりおっしゃった。陰ながらプッシュした、こうおっしゃっておられるので、たてまえと本音は違ってもけっこうでございます。
西尾君のリーダーの、ある銅山の問題とか、松岡駒吉君のリーダーの野田大争議とか、こういう問題を見まして、当時、御承知のとおり日本にできましたのが労資協調会です。いまと違いまして、人権尊重はなし、自由はなし、治安維持法あり、治安警察法あり、そういう中に、あまりの深刻な労働争議に対しまして労資協調会というものができた。
国家行政組織法というのは、松岡駒吉さんが当時、衆議院で政府提案の大修正をしまして、こんなことをすれば官僚の阿房宮ができ上がるじゃないかということで、みんなぶった切って、つなぎ合わせてこしらえた法律でありますから、国家行政組織法はそういう意味では数々の問題がある。 その中の一部分、法務省にかかわるものを取り上げている形になる。
新憲法下第一回の衆議院は松岡駒吉議長、いまはない淺沼稲次郎氏が議運の委員長として、いまの国会法及び衆参両院規則で占領軍のメモとの折衝に当たったわけでありまして、私たちもその衝に当たったのでありますから、非常によく知っておるんです。知っておりますが、通年制ということがあったんですが、やっぱり二院制をとろう、しかも会期制をとろう。
その後また松永議長に対して高津正道副議長、松岡駒吉議長とともに本院の名議長として誉れの高い益谷秀次議長に対する杉山元治郎副議長。このようにして、第一党、第二党の議長、副議長の間で議会は運営されてまいりました。ところが、星島二郎議長が選出されるに及んで、その副議長は従来の慣例を認めずして、自由民主党から同じく副議長として椎熊三郎議員が選出をされたのであります。
死んだ人では、民社党の松岡駒吉氏、大矢省三氏等は、どこから見ましても由緒正しい朝鮮民族と同じ顔です。それはちっとも悪いことはありません。まじってもちっともかまいません。問題は、いかにして日本人としてりっぱな生活をし、国のためによい国民であるかが問題であります。先祖がどこから来ていようが、どういう人種構成でも問題ではありません。
しかるに、近時日本の国会の最大の不幸は、議長、副議長ともその人を得ず、全く政府・与党の走狗と化し、かつての名議長とうたわれた故松岡駒吉君、あるいは悪名高いかの小選挙区法案の取り扱いに良識を見せた益谷秀次君のごとき、英断の片りんさえ今日見出すことのできない現実は、まことに情けないと申さなければなりません。
次に、引き続いて、故松岡駒吉君、故本間俊一君及び故小淵光平君に対する追悼演説を行います。演説者は、故松岡駒吉君に対しましては自由民主党の芦田均君、故本間俊一君に対しましては日本社会党の竹谷源太郎君、故小淵光平君に対しましては日本社会党の栗原俊夫君が行うことになっております。以上でございます。 それでは、本日の本会議は、午後零時五十分予鈴、定刻午後一時から本会議を開会することにいたします。
○芦田均君 本院議員松岡駒吉君は、去る八月十四日、病のために急逝されました、日ごろ元気な姿を見なれていたわれわれにとって、この悲報はまことに驚愕にたえないところであります。 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、ここにつつしんで哀悼の言葉を申し述べます。(拍手) 松岡君は、明治二十一年四月八日、鳥取県岩美町に生まれました。
昭和三十三年九月三十日(火曜日) ————————————— 議事日程 第二号 昭和三十三年九月三十日 午後一時開議 一 国務大臣の演説 ————————————— ○本日の会議に付した案件 岸内閣総理大臣の施政方針に関する演説 藤山外務大臣の外交に関する演説 遠藤国務大臣の第二十二号台風の災害状況報告のための発言 国務大臣の演説に対する質疑 芦田均君の故議員松岡駒吉君
議員松岡駒吉君は去る八月十四日、議員本間俊一君は去る八月二十日、議員小淵光平君は去る八月二十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。三君に対する弔詞は、それぞれ議長において贈呈いたしました。 この際、弔意を表するため、故松岡駒吉君に対しては芦田均君から、故本間俊一君に対しては竹谷源太郎君から、故小淵光平君に対しては栗原俊夫君から発言を求められております。順次これを許します。
なお、追悼演説者につきましては、故松岡駒吉君に対しては芦田均君、故本間俊一君に対しては竹谷源太郎君、故小淵光平君に対しては栗原俊夫君がそれぞれ行われる旨、自由民主党と日本社会党から申し出て参っておりますが、そのように法定するに御異議はありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
次に、議員松岡駒吉君が去る八月十四日に逝去せられ、また、議員本間俊一君が同月二十日に逝去せられ、また、議員小淵光平君が同月二十六日に逝去せられました。ここにつつしんで衷心より哀悼の意を表する次第であります。
○江崎委員長 次に、追悼演説の件についてでありますが、先刻申し上げました通り、松岡駒吉君、本間俊一君、小淵光平君が逝去されましたので、まずその追悼演説を行う日についておきめ願うわけでございますが、これは先ほどの協議会でも議論がありましたように、適当な日の本会議——三十日の淺沼君の質疑のあとか、または質疑を全部終了したあとかに行うことで御了承を願います。
松岡駒吉君、本間俊一君及び小淵光平君に対しましては、それぞれ歳費一カ年分の弔慰金を贈呈いたすことに相なっておりますが、その取扱いにつきましては、先刻申し上げました通り、御逝去の際に議長に御一任を願っておりましたので、松岡駒吉君及び小淵光平君に対しましては、すでに贈呈いたし、また本間俊一君に対しましては、近く贈呈いたす取り運びにいたしております。